続精神病について病状に抗精神薬が効き目を奏する事も有る。まんざら否定しっぱなしには出来ない精神医療。 つまり、何処か基本的には否定しているのだが。 薬剤を増やしても症状に苦しみ苦しいため病院に電話診察を依頼しても何も解決しない場合も有る。 中には、受付の対応が酷くて相談する気が失せ逆に余計興奮してしまい自傷など問題行動にまで行ってしまう場合も有る。 病院としての体制の問題も有るわけだ。 医師のカウンセリングにも満足できない患者達。 しかし、精神科医たちはそれで治療と称して保険点数を稼いでいたりする。 金を払うほど満足はしていないのに。 全面的に医師に信頼を置いている患者は精神科で何割くらいだろうか? 私は居たら珍しいと思ってしまう。 ただ、いうとおりにしてるだけ。 強制されるから従う、その様な患者も多い。 一体自分の病気が何なのか、説明も受けず、その上何の薬か解らない薬を飲まされる。 患者は自分で勉強して何が自分の病状で、どの様に対処すれば良いか自分で考える必要が高いのだ。 漫然と治療を受けていれば「何をされるか解らない」と言う事が多い。 最近は内科とかでも問題と成っている模様だが。 高齢者医療でも世間を騒がせたりしている。 精神科は特に強制力を伴うからまた、問題点も多い。 未だ、或る程度と言う前置きが必要だと言う現実を聞いてるが、投薬は医師の領域として頼る事が出来るとは考えられる。 さすがに多くの薬について勉強している医師はプロなのだ、と。 しかし、「薬を減らされて」病状が酷く成ってしまった。 その様な話も良く聞いたりする。 一方で薬が多く副作用などで苦しみ密かに飲まずに居る患者も多い。 大体において医師は薬は多めに出す傾向が強い。 しかし、飲まずでも病状は落ち着いていたりするのだ。 医師としても難しい問題なのだとは思う。 鬱の患者などに対する対応を間違え死に至るケース。 その様な事を経験すると、安全策として薬を減らす事に慎重に成らざるを得ない場合も多いだろう。 不随意運動ジスキネジア、肝臓への副作用、アカシジアと言った副作用の多く、それも対処しなくてはいけない。 副作用止めにも副作用が有るが基本的に薬の使用を要求する事。 薬は医師の分野である。 しかし、患者は薬だけでなくそれ以外の症状に対する対処法を知りたいのだ。 現実は症状についてさえ説明が無かったりする。 それは「病識が無い」と言うこの病気特有の問題点が有るにしても、大事な事項だと考えられる。 貴方は、精神保護何とかと言う法律の定める所に於いて入院するものである。 とか何とか法律の事は聞くが症状として何が問題でどの様な対処をするのか? その様な事だけでなく、法律に基づいての説明さえしない場合が有る。 説明しても無駄だとでも思ってるのだろうか? 確かに聞く耳持たない状態に緊急入院が必要な場合も有る。 しかしだ。 その様な状態でも法律上の説明は義務の筈。 少しばかり法律、検察などの介入が煩わしい精神科「医療」の元凶とも成っては居るのだが。 患者は、自ら精神科関係の本などで病気についての知識を得るか賢い友人を持つしかないのだ。 この文章は、どうにも話が散漫で脈略に統一性が無い。 書いた当初から可笑しいとは考えてはいたのだが。 今読み返してみるとどうにもいけない。 で、再び、病状の話。 させられ体験。 他者から見てさえこの本人は本心から”異常な”言動をしてるのではない、と思えたりする事が有る。 多重人格。 自らの中に自らにあらざる物が存在する。 その様な感覚。 第三者的にも「誰かが乗り移った」かの様に人間が変わってしまう事。 それは本人からしても「何者かに」操られた、と言う感覚を持っていたりする。 この感覚も病状の一つなのだが。 話をして確かに意識は有ると認められるのだが、”本人の意識”と違う行動を取る患者。 正常なら自らが望まない言動を何故かしてしまう。 それは自らに不利益な事も多い。 異常行動は記憶していない、場合も有る。 統合失調、分裂、この呼び名は確かに病気の何かを表していると感じられる。 自らと言う物に統一性が無く、何らかの異常なり、別人格の存在が見える。 幻聴など、他人の声で聞こえる。 これはどう考えれば良いのか? 患者のその本人の中に有る物、脳の中に存在する物”だけで”幻聴が聞こえると言う症状が現れる。 すぐ隣の人には聞こえなどしない。 存在するのは患者ただ一人である。 そこに聞こえる声。 無意識、或いは記憶、その中に秘められ存在している”異常な”何かが意識の上に上がる。 或いは脳神経の「変質」によって、一人の人間の中に「意識が有る」と言うシステムが既に幾つか出来ている。 確かに詩人などの例を見るなどすると意識を意識で感じる事が出来ると言える。 別人の様に見る事、客観視する事は可能で、正常である。 初めから脳にはその様なシステムが存在し、ただ或る意識の領域が変質なり異常を起こし存在すると言う可能性。 それは記憶と言う領域にまで影響を及ぼす物と成ってる可能性さえある。 無意識の中での記憶等、聞いた事が無い声での幻聴などまでも、或る脳の「意識野」(無意識と言った方が正確か?)に存在する”声”が聞こえるのでは? どの様な考えが正解なのだろう? 意識薄弱、喪失状態での記憶の無さの他に或る時間の記憶が無いと言う感覚を経験した事が有る。 それは、意識が落ちた常態とは言えない状態としか言えない。 そして、記憶が変貌してると自らさえ感じる異常言動の時間まで有る。 相手の話を自分の妄想に都合の良い様に、(不利益な場合も有り)理解して記憶している場合も有る。 しかしながら、「異常」と言いながら或る纏まった物として「自らにあらざる物」はは存在している様に感じる。 纏まっていない、ながら「纏まってる」何かを感じたり出来たりする。 簡単な脳の変質ではなさそうだ。 過敏症、或いは感覚遅鈍と言った症状が見られる事も有る。 居ない存在が居ると感じてしまう事、意図などしていない言動から責められてる、危険を感じるなどの感覚異常の症状もある。 認識ではなく、感覚の問題と成る場合。 神経伝達の「異常」。 何処か切れていると言う表現。 オーバーヒートした、暴走した。 この様な表現は的を得ているみたいだ。 ショートしている場合も有るだろう。 幾つかのグループに分断されたと言う場合も。 何にせよ脳の内部でのシステム異常なのである。 拒食症などの摂食障害。 これも意識の中に異常な領域が有ると思われる。 自意識の強さ、そして脆さ、どちらもが病状の原因と成る。 本人の意識と裏腹に理性が押さえきれなく暴走する、別の意識。 「解ってるんだ」と、患者としての自覚を持っているのだが押さえきれない衝動。 基本的に、統合失調の場合「病識が無い」状態で自覚は無いのだが。 自分の知らない自分の中の心。 意識に勝る無意識。 自意識が強”過ぎて”、無意識の方が意識を抑えてしまう。 摂食障害やうつの場合、病識は有ったりする。 これらの精神病でも自らにあらざる物が存在している様に見えたりする。 別意識として何かが存在してしまう「重い」統合失調。 問題は何なのだろう? ストレス。 不安、悲観、焦燥、等ネガティブな感情。 情報、環境の中の様々な刺激、これらを処理し切れなくなり、脳内の異質化へと進んでいく。 力動説の限界は知られている。 しかし真理も多く含まれていると私は考える。 心理学はその科学と完全に言えない性質から多くの派閥を作っている。 どれもが不完全性を持っていて、利用しがたい、難解である、等の問題と共に一つの心理学に頼り切れないと考えるのは現代において誰もが認めざるを得ない事だろう。 さて、ここで「宗教」と言う物を持ち出してきてみる。 私自身の経験で、異常言動に宗教色が有ったと言う事。 それが何か働いていると感じたからなのだが。 河合隼雄、神谷美恵子、両者ともスタンスには大きな違いが有るが、宗教に何らかの意味を認めている。 河合はユング派で、ユングが精神病と宗教との関わりを重く見ているからなのだが。 人間の理解を越えている所、理知的に処理できかねる事を宗教は含んでいる。 不思議な力の存在など、「実は」無いのに有る様にしか思えない事。 何か解決策、合理的な答え、合理的ではないかもしれないが、真実の答え、それが有るかもしれない。 宗教。 神秘的な何かによってなら精神病の何かが説明できそう。 しかし、解決策を持っているか?に疑問は当然有る。 病気の治療、解決の為の何かは宗教その物に有るとは思えない。 一部を「上手く」利用して改善策とする。 しかしそれは、特定の人間だけ、適性、個別的な対処を必要とする物だと思える。 宗教の精神病に関する関わり。 何らかの物が有ると思える経験をした。 それは信じがたい出来事だった。 そして信じがたい「良い出来事」も有った。 何か「神秘的な事」、それと「人間」と言う物のあり方、それが精神病と関わりが有ると、「知った」気付いたのは最近である。 宗教など何の関係が有るのかと、思い付きもしないで患者をしていた期間は10年を越す。 しかし何か、「神秘的な事」が精神病に影響しているとは微かに思ってはいた。 そして「神秘的な事」の一つにはESPが有る。 ユングの関係者は情動の高まりによる偶然と言える確立を越す的中率を示す実験をした。 それはESPの存在を実証する物で、私にはにわかに信じがたいが、結果としては出たらしい。 そしてそこから心の中に、ある何かが「共時性」と言う物として「生起」する可能性を導き出している。 その様な事が存在するらしい。 関係妄想と言うのは何かこの様な的中率が高いと言う事の裏腹の事。 表裏一体なのかもしれない。 或る「的中する」と言う、システム(勘)のどこかが狂った状態で意識に上る。 その様な事を考えたりしている。 そしてそれに執着してしまうと妄想と成る。 天才と気違いは紙一重。 何か「妄想など」と表裏一体で、存在するシステムを考える。 それは信じがたい「神秘的な力」を、持っているという可能性も有るかもしれないと思える。 神秘的な力は「普遍的無意識」等として存在し「元型」と言う物の一つとして表現出来るとユングの心理学の一部に有る。 それが「曼荼羅」とか、私には理解しがたい、その様な「シンボル」として心の中の何かが現れるのだそうだ。 「現象学」 治療しようとする人間の意志、意識、無意識の世界が患者と共に変わりうる。 環境、それがこの病気に大きな影響力を持っている事は確かだ。 神経症など、住居を変えるだけで治癒する事もある精神病。 患者個人の中に強く根ざした何かが、発病へと成る元として環境に触発されると言う可能性。 遺伝に関係しているとも言われる。 成り易い「気質」と言った物も存在するらしい。 執着的かなど、幾つかの「気質」に分けられた研究が有る。 完璧主義か、神経質かなど、成りやすそうでも有る。 自らが持っている、育てた育てられた「気質」が影響する。 元々、人付き合いが苦手な人が患いより付き合いが出来なくなる事も多い。 雑踏など、情報量、刺激の多い場所に行けないと言う病状が有ったりする。 患者本人の何かが環境の中の何かと反応して、発病、病状悪化等を起こす。 そして酷い場合、患者本人の「脳」心を変えてしまう。 治療者の心の動き(意識、無意識)と相応して、患者の心の動向も変わる場合が有る。 変わりゆく心、「脳」の何かに影響して、病気の進行に働きかける事が有ると思える。 河合博士は個々で「言葉」を使わない事が増えて、そして尚且つ治療関係にとどまる事が有ると書いている。 治療者が、患者の悩みや「夢」等を話す、それを「共に」聞いている時の心の状態。 それが大事だと言う事らしい。 それは「無意識」と言うはっきりとしない物なのだが、その部分へ「視野」を向け「異常なまま」でも、或るラインを越さなければ、構わないじゃないかと構える。 個人としての自我の形成に「退行」などネガティブな状態も経ながら進んでいく何かが有ればよい。 その様な中に「ユング心理学」として学んだ多くの事を背景とした「治療」。 その様な事をしていると文面から理解した。 十牛図など、と言う禅の絵。 それが自我の形成に似て、特に東洋の心のあり方を表していると。 それは西洋の自我の強さと言う物に無い、何かで、これからの時代を作って行く可能性を示唆している。 心の拠り所として何か、例えば就航を持っていれば違う可能性も有る。 ある種のストレスに稀弱に成って仕舞った心が、身体に影響を与えるほど、異常反応を起こす。 それは「不眠症」と言う物とも密接に関係している。 多くの精神病の副次的な物として、「不眠症」は問題と成る。 自律神経の狂い。 頭に考え事が浮かんできて寝られない。 やけに脳が「刺激されている」感覚が有り目が冴えてしまう。 この時、「睡眠薬」の処方が問題に成ると思っている。 増えていくばかりで減らない薬。 カウンセリングが大事な領域だと思うのだが、現場ではそれは殆ど無い。 副作用として「記憶」短期にも長期にもそれは副作用を示す事が多い。 自律神経としての、副交感神経が働くなるなど、或いはそれ以上に興奮してしまい活動を続けてしまう或る意識。 抗精神薬を睡眠薬代わりに処方する場合も有って当然の事だろう。 唯、その場合が適切か? 上手なカウンセリングによって治まる場合も多いのではないか? 自分では抑え切れなく成ってしまう「睡眠障害」。 睡眠薬も緩和剤に過ぎない。 |